川内理香子 KAWAUCHI RIKAKO

真っ白な紙の上を走る、鉛筆の線。何層にも重なる絵具の上から、ペインティングナイフで削られた線。アーティスト・川内理香子の作品と対峙していると、それらの線が画面の枠を越え、空間をわたっていくような感覚に陥る。その線が表すものは、一体何なのか。「ルーフミュージアム」で開催されている個展『human closely』で発表した作品について話を伺いながら、川内理香子の作品への想いや、関心のあるモチーフ、線で表現するようになったルーツなどを探っていく。

ペインティングの中にも登場するようになった
人や身体のイメージ

−−改めて、今回の個展『human closely』というタイトルに込められた意味についてお聞かせください。

私のドローイングにあります。ドローイングの中に出てくるイメージには、人や身体にまつわるものが多かったのですが、ペインティングは神話をテーマにすることもあるからか、動物や植物が出てくることが多くて。人や身体のイメージはあまり見えてこなかったので、作品のモチーフとして画面に出てくることはあまりなくなりました。でも、最近はペインティングの中にも人や身体のイメージがよく登場するようになったので、そういった意味や自分の作品の展開を重ねて『human closely』というタイトルをつけました。

−−もともとは画材や描写方法の違いから、出てくるイメージが違ったのでしょうか?

そうだと思います。素材は自分にとって大事です。紙だったら紙、油絵だったら油絵、そういった素材の特徴がそれぞれあるので、その性質の中で自分が“うまく話せる方法”で制作しています。話し方によって話しやすい内容も変わるので、“こんなものを描きたい”と思った時に、一番適している話し方は何なのか。描きたいものごとに適した方法があると思うので、そこからも違いがあるのかなと思います。

−−2階に飾られている「Baby」というドローイング作品2点には、頭部のようなモチーフが描かれていますね。鉛筆と水彩絵具で描かれているそうですが、どのようなことを表現されているのでしょうか?

ドローイングでよく人の顔を描きますが、誰かの表面的な顔を描いているわけではなくて。もっと内面的な、精神的な部分を追いかけていった時に、それが顔として具体化して出てきたものなんです。自分の中にもあるし、他者の中にも存在しているけど、視覚的には見えてこない部分を描いているというか。
自分ではあまり意識していませんでしたが、この頭部は「おじさんに見える」と言われることがあります。自分は男女の区別なく描いていても、なぜか男の人に見えることが多いようで。でも、「おじさん」以外に「生まれたばかりの赤ちゃんの顔に見える」と言われたこともあって、面白いなと思いました。人の顔って、成長していくにつれてどんどんはっきりしていきますよね。でも、生まれたばかりの赤ちゃんの顔って「宇宙人みたい」と言われることもあるくらい似通っていて、それがすごくピュアな状態に感じられたので、自分が描く顔には「生まれたばかりの赤ちゃん」という言葉がしっくり来ました。

−−「Baby」という同名の作品が対になっていますが、2点配置されていることに意味はあるのでしょうか?

「Baby」には、頭部をキャッチしているようなイメージがあります。生まれてきたものを掴んでいるようにも感じられるし、お母さんの胎内にいるようなイメージも、どちらもあって。“キャッチしている”というイメージが出てきた時に、ボール遊びをしているようなイメージも出てきました。向かって左側の「Baby」の頭部は上を向いていて、手には触れずに腕の中で動いていますよね。そこから、ボールが跳ねるように、いろんな位置にポンポンって運動しているようなイメージが湧いてきたので、「kiss」を挟む形で「Baby」を2点展示して、絵と絵の間でもボール遊びをしているようなイメージを持たせました。

−−「Baby」の間に飾られている「kiss」についてもお聞かせください。こちらは画面の左が青色、右が赤色で塗られていますが、色に関して意識されたことはありますか?

色は、描くイメージと関わっているようで乖離しているところもあるので、 “このイメージだからこの色を置こう”と、描写的に選んでいるわけではないんです。私にとって一番大事なのは“いい線を引くこと”だから、自分が一番いい状態になれる色を、ウォーミングアップ的な意味合いで最初に選ぶことが多いです。でも、描きたいイメージが何となくあるので、その世界観に合った色を選び取って置いていくこともあります。キャンバスもパレットなので、キャンバス上でも複雑なことが起こっていて、最初に描こうと思っていたイメージではない、自分の予想しなかったものが浮かび上がってくることも多くて。そういったものが見えてくるとそれを追いかけていって、追いかけた先でまた連鎖的に違うものが見えてくる。その連続で世界ができあがることもあります。

−−では最初にイメージしていたものと、できあがったものを比べて、思っていた仕上がりと違ったと感じる部分もありますか?

あります。「kiss」は、最初にイメージしていたものからずいぶん違うものになった作品でした。最初は人をたくさん描こうと思っていましたが、そこからなぜか人と人が手を繋ぐようになって、その間にいろんなストーリーや、星や骨盤などのモチーフが出てきました。どれも最初はまったく描こうと思っていなかったものです。

身体と意識の狭間で
自分自身を模索しながら描く

−−「kiss」と向かい合っている「pee from stars like string to be added to mouths」は、今回の個展で一番大きな作品ですね。こちらはどのような作品なのでしょうか?

星が排泄しているものを、動物たちが咥えています。星は天にあるもので、動物たちは地にいるもの。それらが繋がっているイメージです。以前、ヤシの木の上にいる動物たちが吐いたり排泄したりしたものが、雨になっている絵を描いたことがあって。吐き出した物や排泄物って体の中から出てきたものだから、内的な要素が強いものだと思いますが、それが雨という、外の自然的なものに重なり合うイメージで描いたものです。この作品もそういった部分が強くて、星という、自然的で天にあって手が届かないものが、体の中のものと地にあるものと繋がるイメージで描いています。

−−雨を排泄物に置き換えたり、ほかにも身体の一部を何かに見立てたりされていますが、自然物や食べ物などを身体の一部と重ねる感覚が強いのでしょうか?

そうですね。そもそも“自分の身体が自分のものなのかわからない”という想いが強いです。身体がないと生きていけないから、“身体”が自分自身だとも思うけど、自分には“意識”もある。自分自身だと思っているのは意識の部分が強いような気がするけど、意識よりも時に身体が勝って、自分の考えや行動を規定してくることもあります。身体と意識、二項対立の狭間で人は生きていて、“自分自身ってどっちなんだろう”みたいなことを幼少期からずっと考えてきました。内と外の境目が、あまりよくわからないんです。“自分なのか”、でも“自分って結局は他者なんじゃないか”、みたいな想いもあって。
「pee from stars like string to be added to mouths」は、過去に神話をテーマに制作した作品の延長にある作品だと思います。神話の中で、心臓や肺などの臓器は体を構成する一要員ではなく、ひとつの個体として命を持って森の中をぴょんぴょん跳ね回るような描写がよく出てくるんです。そのイメージが自分の考え方や身体感とすごく共鳴するところがあります。だから私の作品でも、臓器が体の境界を越えて、自然物と同じようなポジションで存在していることもある。そんなところから、“自分って他者なんじゃないか”と思わされるところがあって、そういった思想がどの作品にも見られると思います。

−−ドローイングやペインティングのほか、針金やネオン管などさまざまなメディアを使って表現されていますが、今回展示されているネオン管の作品にも、そのような思想が見られるのでしょうか?

見られるのは、主にペインティングですね。ネオン管は、針金の作品から派生したものです。ドローイングを鉛筆で描く時、空間に線を入れ込んでいくのではなく、物質的なものを紙の上に置いていくように、彫刻的な感覚があります。だったら実際に針金でもできるなと思って、針金で線を起こして、空間にドローイングしました。針金の線が今度はネオン管になって、という流れで生まれた作品です。ネオン管は、もともとは壁についていて平面性がありました。最近は台置きになって、壁から離れ始めているところがあります。

−−制作を始める際に、作りたいイメージに合わせてメディアを決めるのでしょうか?

“これがやりたいからこれを選ぼう”という感じではないですね。絵を描く時もそうですが、最初から明確に決めすぎないようにしていて、何となく持っているイメージから制作を始めます。ネオン管は針金をもとに作っているので、針金と遊びたい、触りたい、というところから作り始めることもあります。

−−ペインティングの作品に戻って、「all same brain」についてもお聞かせください。こちらは頭部から木が生えているようなイメージがありますね。

最初は木のイメージで描いていましたが、角や心臓のようなイメージもあります。枝のようなものが分かれていって、その先にいるたくさんの人たちとまた繋がっていくような、広がりのあるイメージを持って描きました。

−−「all same brain」もそうですが、暖色系の作品が多い印象があります。それは人や身体のイメージからなのでしょうか?

よく言われますが、まったく意識していなくて。単純に、自分が好きな色や綺麗だと思う色に、赤系のものが多いんだと思います。

−−入口に飾られている「earrings」も、「all same brain」のように広がりを感じる作品ですね。

このイメージをたまに描きたくなるんです。「earrings」は、最初は木の実や果実が成っているイメージでしたが、“まだだな”と思って、未完成のままアトリエに置いていました。何かが見えてこなくて、ずっと待っていたんですよ。そうしたらある時、“イヤリングだ”とふと思って描いて、完成した作品です。

−−以前のインタビューで、絵は1日で描き上げることが多いとおっしゃっていましたが、作品によっては寝かせて、月日が経ってから完成することもあるのでしょうか?

「earrings」はすごく稀なケースで、作品を寝かせることはほぼありません。

1冊の本との出会いが
自身の思考と動植物のイメージがリンクするきっかけに

−−ルーフミュージアム1階と2階の作品構成で意識された点があれば教えてください。

2階は広い空間なので、大きな作品を展示したいと思いました。先ほどお話しした理由から、まずは「Baby」の2点で「kiss」を挟むことを決めて、反対の壁の真ん中の「kiss」と正面で向かい合う位置に、今回の個展で一番大きな「pee from stars like string to be added to mouths」を置きました。大きな作品を配置したあとに、『human closely』という個展のタイトルに即した作品を選んでいます。例えば「tiger tiger burning bright」は、人の顔に虎の模様がついていて、動物と人、両方のイメージがある作品なので、タイトルで言っていることが伝わりやすいのではないかなと思って。1階はカフェなので、カフェでゆっくりする時にそばにあったらいいなと自分が感じる作品を選んでいます。

−−1階に飾られている「HOME SWEET HOME」も、2階の作品に続くとても大きな作品で、目を引きますね。

「HOME SWEET HOME」では、蜂の巣を描きました。蜂の巣は内臓のように見えたり、皮膚の表層のようにも見えたりするので、形状的に気になる対象です。神話の中にも、ハチミツは特別なものとして出てくるんですよね。ハチミツは自然の中にあるものだけど、ハチが製造しているものだから、自然そのものが生み出しているわけではないじゃないですか。だからある意味で人工物であり、自然物でもあるような、自然と文化の狭間にあるものとして神話に登場していて。私は狭間にあるものや両義的なものに関心があるので、そういった意味でも蜂の巣が気になっていました。

−−たしかに蜂の巣のようにも、皮膚のようにも見えますね。ひとつひとつの穴の中には、臓器や動物など、いろいろなものが描かれています。

蜂の巣と皮膚の形状のイメージを重ね合わせているところがあるので、“皮膚は体を守るもの=家も住む人を守るもの”という繋がりから、「HOME SWEET HOME」というタイトルにしています。蜂の巣のひとつひとつの穴には、臓器や歯、動物など、体の中と外にあるものを描きました。見方によっては蜂の巣が吹き出しのように見えて、人がしゃべっているイメージもあったりして。ブレインストーミング的にいろんな思考が入った作品です。

−−やはり蜂の巣を皮膚と重ねたり、「ginger hands」も生姜を手のように捉えていたり、外のものを体の一部と重ねられる感覚が強いのですね。

“それそのものじゃなく見えるもの”に興味があります。「pretzel」もヘビに見えたり、人体の一部に見えたり、血管に見えたり。ぱっと見た時に全然違うものに見えるもの、そういった見方ができるものは、描きたいと思えますね。

−−先ほどから「神話」というキーワードもお話の中に出ているのですが、文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの著書との出会いが、神話の世界に興味を持たれるきっかけになったのでしょうか?

そうですね。でも、レヴィ=ストロースの名前は知っていましたが、神話を読もうと思って読んだわけではありませんでした。自分は食や身体にとても関心があるので、そういった本を読みたいと思って探していた時に、レヴィ=ストロースが書いた『神話論理』シリーズの第1巻『生のものと火を通したもの』に出会いました。まず、『生のものと火を通したもの』というタイトルがすごく素敵じゃないですか。なので「あ、これは自分が求めていたものが書かれているに違いない」と思って、中身をあまり見ずに買って読んだら、神話の話だったんです。レヴィ=ストロースの分析によると、神話の中に出てくる動植物たちは、例えば虎が火の象徴だとか、女性の象徴だとか、裏に隠された意味を担っていて、その裏の意味の整合性で神話が成り立っているそうで。それを読んでから、自分が抽象的に思考していたことや、ダイレクトに思考していたことが、神話の世界に出てくる動植物たちに置き換えられるようになりました。だから作品にも反映されているんだと思います。

−−最初は食に関しての記述を読もうと思ったところから、思いがけず神話の世界に触れ、レヴィ=ストロースが分析する神話の世界の法則や考え方自体がご自身の中に取り込まれて、作品にも影響するようになったということですね。

そうです。自分がそれまで気になったり、思考したりしていたものが、神話の中にもたくさん出ていました。例えば、私にとって消化や排泄は気になるものなのですが、「壺は消化を表すものだ」というエピソードもあって。それを読んだあとに消化について考えると、イメージとして壺が出てくることがあるので、影響されているところがあると思います。

線を置いていくことによって
すべてが生まれていく

−−制作についてもお聞かせいただきたいのですが、制作を始める際に、アイデアスケッチや下描きなどはされますか?

スケッチはするけど、あまりがっちりはしません。それに、本番の紙やキャンバスに鉛筆で下描きをしてから描き始めるようなことは絶対にしないです。それをすると、下描きの線を追いかけることになってしまうから。頭で考えていることが手に伝わる前に描いているところがあると思います。多分、すごく複雑に考えて描いているとは思いますが、描きながらじっくり考えているといい線が引けないし、自分の理想とするところに行けないので。

−−ペインティングでは、ペインティングナイフで塗って、ペインティングナイフで線を刻むということですが、なぜペインティングナイフを使っているのでしょうか?

ペインティングナイフで線を削る感覚が、鉛筆で線を引くスピード感や体感、感触と近しいからです。私にとって、すっと線を引けることはすごく重要なので、何にも引きずられない、自分をダイレクトに乗せられる感覚があるペインティングナイフは、肌に合っているなと思います。例えば筆だと、絵具がかすれたり、絵具に引きずられたりするところがありますが、ペインティングナイフや鉛筆には、物質感に左右されずに線を引ける感覚があります。

−−ご自身が思う感覚や速度で線を引くことを大切にされていると。先ほどもおっしゃっていましたが、やはり「線」が重要なのですね。

そうですね、私の作品は線で表している部分が大きいです。線で写実的に描くということではなく、線そのものでボリューム感や空間を表現するというか。それを自分は求めているし、目指しているんだと思います。だから線を置いていくことによって、すべてが生まれていくイメージがありますね。

−−線で表現されることを意識されるようになったのは、いつ頃からでしょうか?

小さい時から線で捉えて描くことが多かったかもしれないです。母の話だと、私が7歳の時、ひとつの絵を3日間模写したことがあったらしくて。その姿を見た母は、“この子は絵を描くことにすごく執着があるんだな”と思ったようで、それから美術館に連れて行ってくれるようになりました。その後、ピカソ展に連れて行ってくれた時に、観終わってから「どの絵が好きだった?」と聞いたら、鉛筆の線だけで描いた鳥のような絵を「これがいい」と言っていたみたいで。ピカソってカラフルな絵が多いじゃないですか。子どもだし、そういった作品が好きだと言うのかなと思ったら、鉛筆の線だけで描いた絵を選んだので、「不思議だなと思った」と言っていたことがありました。

−−小さい頃から線に興味を持たれていて、それがいまの表現に繋がっているのですね。最後に今後のご予定や、未来のビジョンなどがあったら教えていただけますか。

4/12からイタリアのミラノにある「ERA GALLERY」で個展があります。 未来のビジョンについては、昨日「N&A Art SITE」のオーナーさんと話していた時に、ドローイングやペインティング、針金、ネオン管の作品をひとつの空間に展示して、その響き合いを見せることはしてきたけれど、「作品の中で融合させる展開もあるよね」と言われて。まだイメージはできていませんが、そんなことができたら確かに面白そうだなと思いました。

−−お話の中から、そういった未来の可能性もご自身の中で見えたとのこと。今後の展開も楽しみにしています。ありがとうございました。



photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka

川内理香子
1990年東京都生まれ。2017年に多摩美術大学大学院・美術学部・絵画学科・油画専攻を修了。現在は 東京を拠点に活動中。
川内は食への関心を起点に、身体と思考、それらの相互関係の不明瞭さを主軸に、食事・会話・セックスといった様々な要素が作用し合うコミュニケーションの中で見え隠れする、自己や他者を作品のモチーフとして、ドローイングやペインティングをはじめ、針金やゴムチューブ、樹脂やネオン管など、多岐にわたるメディアを横断しながら作品を制作しているアーティストです。制作を通して描くことで、捉えがたい身体と目には見えない思考の動きを線の中に留めている、と本人は語ります。

1990年 東京生まれ
2015年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 卒業
2017年 多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻油画研究領域 修了 現在東京を拠点に活動中

https://rikakokawauchi.com

川内理香子 KAWAUCHI RIKAKO

真っ白な紙の上を走る、鉛筆の線。何層にも重なる絵具の上から、ペインティングナイフで削られた線。アーティスト・川内理香子の作品と対峙していると、それらの線が画面の枠を越え、空間をわたっていくような感覚に陥る。その線が表すものは、一体何なのか。「ルーフミュージアム」で開催されている個展『human closely』で発表した作品について話を伺いながら、川内理香子の作品への想いや、関心のあるモチーフ、線で表現するようになったルーツなどを探っていく。

ペインティングの中にも登場するようになった
人や身体のイメージ

−−改めて、今回の個展『human closely』というタイトルに込められた意味についてお聞かせください。

私のドローイングにあります。ドローイングの中に出てくるイメージには、人や身体にまつわるものが多かったのですが、ペインティングは神話をテーマにすることもあるからか、動物や植物が出てくることが多くて。人や身体のイメージはあまり見えてこなかったので、作品のモチーフとして画面に出てくることはあまりなくなりました。でも、最近はペインティングの中にも人や身体のイメージがよく登場するようになったので、そういった意味や自分の作品の展開を重ねて『human closely』というタイトルをつけました。

−−もともとは画材や描写方法の違いから、出てくるイメージが違ったのでしょうか?

そうだと思います。素材は自分にとって大事です。紙だったら紙、油絵だったら油絵、そういった素材の特徴がそれぞれあるので、その性質の中で自分が“うまく話せる方法”で制作しています。話し方によって話しやすい内容も変わるので、“こんなものを描きたい”と思った時に、一番適している話し方は何なのか。描きたいものごとに適した方法があると思うので、そこからも違いがあるのかなと思います。

−−2階に飾られている「Baby」というドローイング作品2点には、頭部のようなモチーフが描かれていますね。鉛筆と水彩絵具で描かれているそうですが、どのようなことを表現されているのでしょうか?

ドローイングでよく人の顔を描きますが、誰かの表面的な顔を描いているわけではなくて。もっと内面的な、精神的な部分を追いかけていった時に、それが顔として具体化して出てきたものなんです。自分の中にもあるし、他者の中にも存在しているけど、視覚的には見えてこない部分を描いているというか。
自分ではあまり意識していませんでしたが、この頭部は「おじさんに見える」と言われることがあります。自分は男女の区別なく描いていても、なぜか男の人に見えることが多いようで。でも、「おじさん」以外に「生まれたばかりの赤ちゃんの顔に見える」と言われたこともあって、面白いなと思いました。人の顔って、成長していくにつれてどんどんはっきりしていきますよね。でも、生まれたばかりの赤ちゃんの顔って「宇宙人みたい」と言われることもあるくらい似通っていて、それがすごくピュアな状態に感じられたので、自分が描く顔には「生まれたばかりの赤ちゃん」という言葉がしっくり来ました。

−−「Baby」という同名の作品が対になっていますが、2点配置されていることに意味はあるのでしょうか?

「Baby」には、頭部をキャッチしているようなイメージがあります。生まれてきたものを掴んでいるようにも感じられるし、お母さんの胎内にいるようなイメージも、どちらもあって。“キャッチしている”というイメージが出てきた時に、ボール遊びをしているようなイメージも出てきました。向かって左側の「Baby」の頭部は上を向いていて、手には触れずに腕の中で動いていますよね。そこから、ボールが跳ねるように、いろんな位置にポンポンって運動しているようなイメージが湧いてきたので、「kiss」を挟む形で「Baby」を2点展示して、絵と絵の間でもボール遊びをしているようなイメージを持たせました。

−−「Baby」の間に飾られている「kiss」についてもお聞かせください。こちらは画面の左が青色、右が赤色で塗られていますが、色に関して意識されたことはありますか?

色は、描くイメージと関わっているようで乖離しているところもあるので、 “このイメージだからこの色を置こう”と、描写的に選んでいるわけではないんです。私にとって一番大事なのは“いい線を引くこと”だから、自分が一番いい状態になれる色を、ウォーミングアップ的な意味合いで最初に選ぶことが多いです。でも、描きたいイメージが何となくあるので、その世界観に合った色を選び取って置いていくこともあります。キャンバスもパレットなので、キャンバス上でも複雑なことが起こっていて、最初に描こうと思っていたイメージではない、自分の予想しなかったものが浮かび上がってくることも多くて。そういったものが見えてくるとそれを追いかけていって、追いかけた先でまた連鎖的に違うものが見えてくる。その連続で世界ができあがることもあります。

−−では最初にイメージしていたものと、できあがったものを比べて、思っていた仕上がりと違ったと感じる部分もありますか?

あります。「kiss」は、最初にイメージしていたものからずいぶん違うものになった作品でした。最初は人をたくさん描こうと思っていましたが、そこからなぜか人と人が手を繋ぐようになって、その間にいろんなストーリーや、星や骨盤などのモチーフが出てきました。どれも最初はまったく描こうと思っていなかったものです。

身体と意識の狭間で
自分自身を模索しながら描く

−−「kiss」と向かい合っている「pee from stars like string to be added to mouths」は、今回の個展で一番大きな作品ですね。こちらはどのような作品なのでしょうか?

星が排泄しているものを、動物たちが咥えています。星は天にあるもので、動物たちは地にいるもの。それらが繋がっているイメージです。以前、ヤシの木の上にいる動物たちが吐いたり排泄したりしたものが、雨になっている絵を描いたことがあって。吐き出した物や排泄物って体の中から出てきたものだから、内的な要素が強いものだと思いますが、それが雨という、外の自然的なものに重なり合うイメージで描いたものです。この作品もそういった部分が強くて、星という、自然的で天にあって手が届かないものが、体の中のものと地にあるものと繋がるイメージで描いています。

−−雨を排泄物に置き換えたり、ほかにも身体の一部を何かに見立てたりされていますが、自然物や食べ物などを身体の一部と重ねる感覚が強いのでしょうか?

そうですね。そもそも“自分の身体が自分のものなのかわからない”という想いが強いです。身体がないと生きていけないから、“身体”が自分自身だとも思うけど、自分には“意識”もある。自分自身だと思っているのは意識の部分が強いような気がするけど、意識よりも時に身体が勝って、自分の考えや行動を規定してくることもあります。身体と意識、二項対立の狭間で人は生きていて、“自分自身ってどっちなんだろう”みたいなことを幼少期からずっと考えてきました。内と外の境目が、あまりよくわからないんです。“自分なのか”、でも“自分って結局は他者なんじゃないか”、みたいな想いもあって。
「pee from stars like string to be added to mouths」は、過去に神話をテーマに制作した作品の延長にある作品だと思います。神話の中で、心臓や肺などの臓器は体を構成する一要員ではなく、ひとつの個体として命を持って森の中をぴょんぴょん跳ね回るような描写がよく出てくるんです。そのイメージが自分の考え方や身体感とすごく共鳴するところがあります。だから私の作品でも、臓器が体の境界を越えて、自然物と同じようなポジションで存在していることもある。そんなところから、“自分って他者なんじゃないか”と思わされるところがあって、そういった思想がどの作品にも見られると思います。

−−ドローイングやペインティングのほか、針金やネオン管などさまざまなメディアを使って表現されていますが、今回展示されているネオン管の作品にも、そのような思想が見られるのでしょうか?

見られるのは、主にペインティングですね。ネオン管は、針金の作品から派生したものです。ドローイングを鉛筆で描く時、空間に線を入れ込んでいくのではなく、物質的なものを紙の上に置いていくように、彫刻的な感覚があります。だったら実際に針金でもできるなと思って、針金で線を起こして、空間にドローイングしました。針金の線が今度はネオン管になって、という流れで生まれた作品です。ネオン管は、もともとは壁についていて平面性がありました。最近は台置きになって、壁から離れ始めているところがあります。

−−制作を始める際に、作りたいイメージに合わせてメディアを決めるのでしょうか?

“これがやりたいからこれを選ぼう”という感じではないですね。絵を描く時もそうですが、最初から明確に決めすぎないようにしていて、何となく持っているイメージから制作を始めます。ネオン管は針金をもとに作っているので、針金と遊びたい、触りたい、というところから作り始めることもあります。

−−ペインティングの作品に戻って、「all same brain」についてもお聞かせください。こちらは頭部から木が生えているようなイメージがありますね。

最初は木のイメージで描いていましたが、角や心臓のようなイメージもあります。枝のようなものが分かれていって、その先にいるたくさんの人たちとまた繋がっていくような、広がりのあるイメージを持って描きました。

−−「all same brain」もそうですが、暖色系の作品が多い印象があります。それは人や身体のイメージからなのでしょうか?

よく言われますが、まったく意識していなくて。単純に、自分が好きな色や綺麗だと思う色に、赤系のものが多いんだと思います。

−−入口に飾られている「earrings」も、「all same brain」のように広がりを感じる作品ですね。

このイメージをたまに描きたくなるんです。「earrings」は、最初は木の実や果実が成っているイメージでしたが、“まだだな”と思って、未完成のままアトリエに置いていました。何かが見えてこなくて、ずっと待っていたんですよ。そうしたらある時、“イヤリングだ”とふと思って描いて、完成した作品です。

−−以前のインタビューで、絵は1日で描き上げることが多いとおっしゃっていましたが、作品によっては寝かせて、月日が経ってから完成することもあるのでしょうか?

「earrings」はすごく稀なケースで、作品を寝かせることはほぼありません。

1冊の本との出会いが、
自身の思考と動植物のイメージがリンクするきっかけに

−−ルーフミュージアム1階と2階の作品構成で意識された点があれば教えてください。

2階は広い空間なので、大きな作品を展示したいと思いました。先ほどお話しした理由から、まずは「Baby」の2点で「kiss」を挟むことを決めて、反対の壁の真ん中の「kiss」と正面で向かい合う位置に、今回の個展で一番大きな「pee from stars like string to be added to mouths」を置きました。大きな作品を配置したあとに、『human closely』という個展のタイトルに即した作品を選んでいます。例えば「tiger tiger burning bright」は、人の顔に虎の模様がついていて、動物と人、両方のイメージがある作品なので、タイトルで言っていることが伝わりやすいのではないかなと思って。1階はカフェなので、カフェでゆっくりする時にそばにあったらいいなと自分が感じる作品を選んでいます。

−−1階に飾られている「HOME SWEET HOME」も、2階の作品に続くとても大きな作品で、目を引きますね。

「HOME SWEET HOME」では、蜂の巣を描きました。蜂の巣は内臓のように見えたり、皮膚の表層のようにも見えたりするので、形状的に気になる対象です。神話の中にも、ハチミツは特別なものとして出てくるんですよね。ハチミツは自然の中にあるものだけど、ハチが製造しているものだから、自然そのものが生み出しているわけではないじゃないですか。だからある意味で人工物であり、自然物でもあるような、自然と文化の狭間にあるものとして神話に登場していて。私は狭間にあるものや両義的なものに関心があるので、そういった意味でも蜂の巣が気になっていました。

−−たしかに蜂の巣のようにも、皮膚のようにも見えますね。ひとつひとつの穴の中には、臓器や動物など、いろいろなものが描かれています。

蜂の巣と皮膚の形状のイメージを重ね合わせているところがあるので、“皮膚は体を守るもの=家も住む人を守るもの”という繋がりから、「HOME SWEET HOME」というタイトルにしています。蜂の巣のひとつひとつの穴には、臓器や歯、動物など、体の中と外にあるものを描きました。見方によっては蜂の巣が吹き出しのように見えて、人がしゃべっているイメージもあったりして。ブレインストーミング的にいろんな思考が入った作品です。

−−やはり蜂の巣を皮膚と重ねたり、「ginger hands」も生姜を手のように捉えていたり、外のものを体の一部と重ねられる感覚が強いのですね。

“それそのものじゃなく見えるもの”に興味があります。「pretzel」もヘビに見えたり、人体の一部に見えたり、血管に見えたり。ぱっと見た時に全然違うものに見えるもの、そういった見方ができるものは、描きたいと思えますね。

−−先ほどから「神話」というキーワードもお話の中に出ているのですが、文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの著書との出会いが、神話の世界に興味を持たれるきっかけになったのでしょうか?

そうですね。でも、レヴィ=ストロースの名前は知っていましたが、神話を読もうと思って読んだわけではありませんでした。自分は食や身体にとても関心があるので、そういった本を読みたいと思って探していた時に、レヴィ=ストロースが書いた『神話論理』シリーズの第1巻『生のものと火を通したもの』に出会いました。まず、『生のものと火を通したもの』というタイトルがすごく素敵じゃないですか。なので「あ、これは自分が求めていたものが書かれているに違いない」と思って、中身をあまり見ずに買って読んだら、神話の話だったんです。レヴィ=ストロースの分析によると、神話の中に出てくる動植物たちは、例えば虎が火の象徴だとか、女性の象徴だとか、裏に隠された意味を担っていて、その裏の意味の整合性で神話が成り立っているそうで。それを読んでから、自分が抽象的に思考していたことや、ダイレクトに思考していたことが、神話の世界に出てくる動植物たちに置き換えられるようになりました。だから作品にも反映されているんだと思います。

−−最初は食に関しての記述を読もうと思ったところから、思いがけず神話の世界に触れ、レヴィ=ストロースが分析する神話の世界の法則や考え方自体がご自身の中に取り込まれて、作品にも影響するようになったということですね。

そうです。自分がそれまで気になったり、思考したりしていたものが、神話の中にもたくさん出ていました。例えば、私にとって消化や排泄は気になるものなのですが、「壺は消化を表すものだ」というエピソードもあって。それを読んだあとに消化について考えると、イメージとして壺が出てくることがあるので、影響されているところがあると思います。

線を置いていくことによって
すべてが生まれていく

−−制作についてもお聞かせいただきたいのですが、制作を始める際に、アイデアスケッチや下描きなどはされますか?

スケッチはするけど、あまりがっちりはしません。それに、本番の紙やキャンバスに鉛筆で下描きをしてから描き始めるようなことは絶対にしないです。それをすると、下描きの線を追いかけることになってしまうから。頭で考えていることが手に伝わる前に描いているところがあると思います。多分、すごく複雑に考えて描いているとは思いますが、描きながらじっくり考えているといい線が引けないし、自分の理想とするところに行けないので。

−−ペインティングでは、ペインティングナイフで塗って、ペインティングナイフで線を刻むということですが、なぜペインティングナイフを使っているのでしょうか?

ペインティングナイフで線を削る感覚が、鉛筆で線を引くスピード感や体感、感触と近しいからです。私にとって、すっと線を引けることはすごく重要なので、何にも引きずられない、自分をダイレクトに乗せられる感覚があるペインティングナイフは、肌に合っているなと思います。例えば筆だと、絵具がかすれたり、絵具に引きずられたりするところがありますが、ペインティングナイフや鉛筆には、物質感に左右されずに線を引ける感覚があります。

−−ご自身が思う感覚や速度で線を引くことを大切にされていると。先ほどもおっしゃっていましたが、やはり「線」が重要なのですね。

そうですね、私の作品は線で表している部分が大きいです。線で写実的に描くということではなく、線そのものでボリューム感や空間を表現するというか。それを自分は求めているし、目指しているんだと思います。だから線を置いていくことによって、すべてが生まれていくイメージがありますね。

−−線で表現されることを意識されるようになったのは、いつ頃からでしょうか?

小さい時から線で捉えて描くことが多かったかもしれないです。母の話だと、私が7歳の時、ひとつの絵を3日間模写したことがあったらしくて。その姿を見た母は、“この子は絵を描くことにすごく執着があるんだな”と思ったようで、それから美術館に連れて行ってくれるようになりました。その後、ピカソ展に連れて行ってくれた時に、観終わってから「どの絵が好きだった?」と聞いたら、鉛筆の線だけで描いた鳥のような絵を「これがいい」と言っていたみたいで。ピカソってカラフルな絵が多いじゃないですか。子どもだし、そういった作品が好きだと言うのかなと思ったら、鉛筆の線だけで描いた絵を選んだので、「不思議だなと思った」と言っていたことがありました。

−−小さい頃から線に興味を持たれていて、それがいまの表現に繋がっているのですね。最後に今後のご予定や、未来のビジョンなどがあったら教えていただけますか。

4/12からイタリアのミラノにある「ERA GALLERY」で個展があります。 未来のビジョンについては、昨日「N&A Art SITE」のオーナーさんと話していた時に、ドローイングやペインティング、針金、ネオン管の作品をひとつの空間に展示して、その響き合いを見せることはしてきたけれど、「作品の中で融合させる展開もあるよね」と言われて。まだイメージはできていませんが、そんなことができたら確かに面白そうだなと思いました。

−−お話の中から、そういった未来の可能性もご自身の中で見えたとのこと。今後の展開も楽しみにしています。ありがとうございました。



photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka

川内理香子
1990年東京都生まれ。2017年に多摩美術大学大学院・美術学部・絵画学科・油画専攻を修了。現在は 東京を拠点に活動中。
川内は食への関心を起点に、身体と思考、それらの相互関係の不明瞭さを主軸に、食事・会話・セックスといった様々な要素が作用し合うコミュニケーションの中で見え隠れする、自己や他者を作品のモチーフとして、ドローイングやペインティングをはじめ、針金やゴムチューブ、樹脂やネオン管など、多岐にわたるメディアを横断しながら作品を制作しているアーティストです。制作を通して描くことで、捉えがたい身体と目には見えない思考の動きを線の中に留めている、と本人は語ります。
 1990年 東京生まれ
2015年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 卒業
2017年 多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻油画研究領域 修了 現在東京を拠点に活動中

https://rikakokawauchi.com